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えっ、その年でデザイナーなの?

おっさんがデザインとイラストにがんばるブログ

カリフォルニア州トーランス、ウェスタン・アベニュー「記憶に残る風景」 #地元発見伝

日記的なもの

2001年頃だからもう13年も前になるけど、全米に9店舗(カリフォルニア州に7店、イリノイ州シカゴ、ニュージャージー州に各1店)を展開する日系スーパーマーケット・チェーン「ミツワ・マーケットプレイス」で、本部マーケティング部で2年ほど働いてたことがある。

ミツワ・マーケットプレイスを運営するミツワ・コーポレーションの前身は「YAOHAN U.S.A.」。97年に盛大に破綻した「ヤオハン」の米国法人だ。

当時の主な顧客は日本からの転勤族、米国人と結婚して米国に住む日本人、日系移民で、あとは裕福な中国人、韓国人というところ。商品が日本からの輸入のため、地元米国系のスーパー、そして中国系のスーパーと比べても高価だった。それでも中国、香港、イギリスにも展開するほど勢いのあった「ヤオハン」というブランドの輝きも消えきってはおらず、明治屋や紀ノ国屋といった高級スーパーに近いイメージで安定した売上を保っていた。

大北海道展、大九州展、銘菓祭りなどのイベントも人気で、日本から職人を呼んで開催した駅弁大会は開店前から長い行列ができるほどだった。 社長直属の部署で、年間販促計画を立てたり、イベントのとりまとめや売場のデザイン、TVや新聞、フリー誌への広告出稿をしたりとてんてこ舞いの毎日だった。私はもともと販売促進企画立案、販促ツールのデザインを東京で十数年やってからの渡米〜スーパー・チェーンの販促ディレクションだったので、仕事内容は期待した通りでやりがいもあった。

ただ沖縄に出張に行って帰ってくるときに「あ、俺、アメリカに戻るのか…今の俺んちはアメリカなんだっけ…(なんか嫌だな)」と感じてしまった。1年以上働いても、日本を捨てて、アメリカで永住権を取って骨を埋める覚悟ができていないことに気づいた瞬間だった。もともと迷いながらの渡米だったが、その迷いは解消できないままだったのだ。職場にフィットしきれなかったことも、張り詰めていた糸が切れてしまった原因ではあった。

勝手もわからず言葉も通じない異国で育児に追われていた妻とも相談し、2年足らずで会社を辞めて帰国することに決めた。夢のような冒険を終え、慣れ親しんだ東京に戻って、ディレクターではなく販促&Webデザイナー、そしてイラストレーターとして再スタートを切った。

今でも、春や秋、湿度が低めでカラッと晴れた日はカリフォルニアで働いていた頃を思い出す。 すこし苦々しいような、切ないような気持ちにはなる。

「記憶に残る風景」 #地元発見伝

https://www.google.com/maps/preview?q=33.834413%2C-118.309552

Torrance, CaliforniaW 214th St

地元の魅力を発見しよう!特別企画「地元発見伝

http://partner.hatena.ne.jp/jimoto/


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