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えっ、その年でデザイナーなの?

おっさんがデザインとイラストにがんばるブログ

友人が亡くなった

先週の木曜、大学時代の友人が亡くなったという知らせを受け、お通夜に行きました。

その友人を、Y君とします。私は現役で大学に入学しましたが、Y君は3っつほど年上で訳ありなようでした。 Y君は、めったに大学に来ませんでしたが、家具デザインを専攻し、積層合板を曲げた見事な椅子を卒業制作として、大学を卒業しました。 業界では有名なデザイン会社に就職し、その後(90年代の後半でしょうか)旅の途中で出会った人と共同経営者としてビジネスを起こしました。 テーブルや椅子、ソファなどのデザインは自ら行い、東南アジアで製作して輸入、富裕層(ex.広尾に住む外交官など)向けに販売する会社でした。

店舗のオープニングのときに、広尾まで行って、少し高いなと思いながら、何枚か皿を買いました。家具以外にも暮らしの道具として生活雑貨も扱っていたのです。 たしか一枚の皿が1,200くらいしました。 Y君は「ジャンキー(私の大学時代のあだ名)、無理に買わなくて良いよ。ジャンキーに買ってもらおうと思ってないから」と言っていました。 私はとうてい富裕層ではないので、そう言われても仕方がなかったのですが、ご祝儀代わりに買ってあげるつもりだったので、少し気落ちしました。

2003年に店は表参道に引っ越しました。 とてもしゃれた内装の店舗で、スタッフを何十人も雇う代表取締役としてのY君をうらやましく思っていました。

その後、久しぶりにY君含め大学時代の友人と飲んだ際には、葉山に家を建てるのに苦労した話を聞かされました。 借家暮らしの私には、それもうらめしく思えました。子どもも一男一女と理想的でした。

大学時代は、年も違いますし、私はデザイン学科で編集を学んでおり、Y君とは方向が違いましたが、たまたま仲良くしてもらっていました。 特に印象に残っているのは、私が二年生の時に通学中にバイクで人身事故を起こしてしまい、精神的にも金銭的にも大きなダメージを受けていた時でした。 そんな私を見かねてか、Y君が時給の高い夜勤のアルバイトを紹介してくれたのです。検体検査の会社で、白衣を着て一晩中、凍った試験管などを仕分けするアルバイトでした。 また、富士スピードウェイでテスト走行のF3マシンのタイヤ交換のアルバイトも、誘ってもらって一緒にやりました。 タイヤ交換と言ってもピットで慌ただしくやるものではなく、車体から外したタイヤをさらにタイヤとホイールにバラしたりする作業でした。 ホイールにタイヤをはめる際は、ホイールバランスを取ったり、スプレーで「BRIDGESTONE」と吹き付けたりしていました。 この仕事は仕分けと違って、サーキットという非日常の場所でやるものでしたし、楽しいアルバイトでした。

私の人身事故の話は、当時は人にしずらく、私自身友だちが少なかったということもあって、Y君に本気で心配してもらえたのは嬉しいことでした。 今でも感謝しています。

卒業後は数えるほどしか会いませんでしたが、気後れせずもっとからんでおけばよかったと後悔しています。 別の友人が言うには、5年ほど前から癌に苦しんでいたということでした。それも知りませんでした。 直接の死因は心筋梗塞だったようです。癌治療中の急性心筋梗塞ということでしょうか。 Y君のfacebookはちょくちょく見ていたので、ごく最近まで仕事で出張などしていて元気そうとしか思っていませんでした。 まさに寝耳に水の訃報でした。

昔に恩を受け、その後うらやましく思っていたまま、これらの気持ちを伝えられずに先立たれるのは、腑に落ちない気持ちです。 死に顔を見ましたが、難しそうな顔をしていました。何かを深く考え込んでいるようでした。

自分の気持ちを軽く捉えず、きちんと伝えるべきことは伝えておかないと後悔することになると痛感します。友だちとしての甘えや、小さなプライドが邪魔をして「うらやましいよ」や「いいバイトを紹介してくれて、ありがとう」という言葉も言えなかったのです。 言う相手がいなくなったのでは、何かの間違いで私が富裕層に入れても自慢することもできません。 一度くらい化けて出てきてほしいものです。

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